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このあたりは、たいへん水つごうの悪いところでした。ある夏のこと、日照りが何日も続いて、ただでさえ少ない水がすっかりかれてしまい、飲み水にも困るほどでした。村の人たちは、遠くはなれたところの川をせきとめて、そこからくんでこなければなりませんでした。
そんなある日、貧しい百姓家の庭先に、一人の旅のお坊さんが立って、
「すまないが、水をいっぱいよんでくださらんか。」
とたのみました。その家の主は、
「しばらくおまちください。」
と言って遠い川まで行って、水をくんできました。
旅のお坊さんは、その水をうまそうに飲んでから、
「あなたは、ずいぶん遠くまで行ってくんできてくださったようですが、どうしてそんなに遠くまで行ったのですか。」
と、たずねました。
「はい、ここらあたりはたいそう水つごうの悪いところで、井戸を掘っても出ません。作物もできが悪くてこまっています。」
と言いますと、
「それは気の毒なことだ。それでは、わたしが水を出して進ぜよう。」
旅のお坊さんは、念仏を唱えながら、持っていた錫杖の先で、地面をつつきました。不思議、不思議、ほんとに不思議なことに、からからに乾いていた地面が、みるみるしめってきて、つえのあとからきれいな水がこんこんと湧き出てきました。こうしてお坊さんは、つぎつぎと、村に八つ、水の出るところをつくってくれました。
この旅の僧は、実は弘法さまだったのです。それから弘法大師は、稚児井戸、藤井戸のあたりに、お寺を開かれ、今水寺と名づけられました。
八つ井戸のうち、この稚児井戸と藤井戸の二つを合わせて、今水と呼び、西原(宝飯郡一宮町)のやり水と、稲木(新城市)の吉水とともに、三河の三銘水とたたえられてきました。 |
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