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吉祥山の中腹に、北に向かって開けたところがあります。そこには昔、吉祥山今水寺という大きなお寺があったそうです。このお寺は、弘法大師がお寺を開こうと、全国をまわって、この八名井の地にこられて、今水寺を開いたのだという言い伝えがあります。
今は、一つのお寺も残っていませんが、もとは、東の谷に八つ、西の谷に四つ、計12もの僧坊が立っていました。坊の名は残っていますが、どれがどこにあったのかわかりません。東谷に残っている鳥居をくぐって石段をのぼると、そこには熊野神社が、今水寺の鎮守としておまつりしてありました。また、観音堂にあった十一面観音像が、今は、八名井の阿弥陀堂に移されておまつりしてあります。こんな立派なお寺がどうしてなくなってしまったのか、はっきりしませんが、武田信玄が野田城を攻めるとき、今水寺に本陣をかまえようとしてことわられたので、焼きはらったのだとともいわれています。 |
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