八名地区に伝わる昔話です。あなたの地元にも今まで知らなかった昔話が伝えられてきたことが分かりますよ。
   
 八名の昔話
   
小畑地区
 
   大食(おおぐ)いの林作(りんさく)どんと金松(かねまつ)どん  

 江戸時代も終わりに近いころ、小畑(おばた)に大変大食いで有名な、林作どんと金松どんという人がいました。二人はいつもどちらが大食いの村一番になれるか、一度競争(きょうそう)してみたいと思っておりました。
 ある年の5月、小畑村から(となり)の吉川村へ草札(くさふだ)をもらって芝草刈(しばくさが)りに行くことになりました。このとき、林作どんと金松どんがちょうど二人組になりました。
 この芝草刈りの時は、(かま)(ちょう)に対して草札1枚を(こし)にさげて刈りますと、他の一人はその間、鎌を()いだりして、二人は交代して休みなく草を刈るわけです。二人の弁当(べんとう)はというと、めんつうの片方に4合、片方に5合、あわせて9合が昼めしです。おかずはうめぼしとつけものくらいです。ようやく昼休みになりました。金松どんが林作どんに言いました。

 「きょうは、わしの弁当をお前さんに全部やるから、二人分の一(しょう)八合を一度に食べれば、林作どんが村いちばんの大食い大将だということになる。そしたら、わしが村の(しゅう)にいいふらしてやるがどうだ。」
ともちかけました。林作どんは、
「お前さんの弁当を全部わしにくれるとな。そして、それをわしが食べたら、わしが村1番ということになるのか。ほんとにくれるのだな。」
「うん、うそではない。そのかわり1(つぶ)でも残したら承知(しょうち)しないぞ。残せばこの次はわしがやる。」
と、金松どんは言い、めんつうの弁当を差し出しました。受けとった林作どんは、まず、自分の9合の弁当をぺろりと平らげ、次に、金松どんの5合めしの方を食べはじめました。食べ方は少しずつ遅くなっていきましたが、どうにかそれを平らげ、残りの4合めしの方に手をつけました。けれどもさすがにもう食べられそうにもありません。「うーん、苦しい、うーん、苦しい。」と言いながら、それでも少しずつ腹に入れていきました。いよいよ最後の一口になったところで、「苦しーい。」と言って、ひっくりかえってしまいました。みじかい昼の休みがおわって、午後の仕事がはじまっても苦しくておきられません。一方、自分の弁当を全部林作どんにやってしまった金松どんは、空腹(くうふく)のあまり仕事もできず、とうとう二人とも夕方まで、草の上に()ておりました。
 夕方になっても帰ってきませんので、組頭(くみがしら)長兵衛(ちょうべえ)さんが、二人をさがしてやってきますと、二人はまだ寝ておりました。その(わけ)をききますと、かようしかじか。

「大喰いの馬鹿者(ばかもの)と、腹へらしの馬鹿者め、今後つつしめ!」

と、二人は組頭から、大目玉をもらって、村中の評判(ひょうばん)になりました。
「食べものもほどほどに、腹も身の内」ということばがこれからはやったそうです。二人はその後しばらくの間、村人の集会にも出ませんでした。人の(うわさ)も75日とかで、だんだんと消えていき、今ではこんな話をだれひとり知る者もなくなりました。