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庭野の大脇には、それはりっぱなお薬師さまがござらっしゃる。
お寺は、なんでも12坊もある大きなお寺だったそうな。その証拠には、お薬師さまのまわりには今でも、仁王門、小坊寺、貴照堂、坊の谷下、堂谷下などと村の衆が呼んでいるところがあるくらいだから、わしは本当の話だと思っとるがな。そのりっぱなお寺も、武田信玄が野田城を攻めるとき、のろしのかわりに焼いてしまったので、いまは、お堂だけがひっそりと残っているというわけさ。
このお堂は、たった一本の松の木で造ったということだよ。ずいぶん大きな松の木だったろうな。また、お薬師さまは、鳳来寺のお薬師さまとごきょうだいで、一本のアスナロの木で造られたという話じゃ。大脇のお薬師さまが木の根元のほうで造られているそうだから、姉様ということになるのかな。
お薬師さまは、昔から病気をなおしてくれる仏さまちゅうことだが、ここのお薬師さまは、特に目の悪い人にご利益があるといわれてな、「どうか目をなおしてくだされ。」と、ひらがなで「め」の字を年の数だけ書いてお願をかけると、願いごとを聞きとどけてくださるということだ。
むかし、お寺が栄えていたころの話だが、ご開帳のときは、諸国から人びとが大ぜいおまいりに来たそうな。そのときは、お薬師さまの腕に白い布が巻かれ、それを参道にそって仁王門の方まで長く長くのばしたそうな。お参りの人びとは、その白い布にさわりながら、一心にお祈りをしたということだ。
仁王門は、お堂の前につづいている丘のはずれにあったが、今は小さな石のほこらが雑木林の中にぽつんとあるだけだよ。この仁王門には、立派な仁王様がいたんだが、ある晩、ひとりで歩いて中宇利の富賀寺へいってしまわれたそうな。いやいや、歩いていったのではない、飛んでいったんじゃ、という人もいることだ。 |
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