八名地区に伝わる昔話です。あなたの地元にも今まで知らなかった昔話が伝えられてきたことが分かりますよ。
   
 八名の昔話
   
中宇利地区
 
   (たき) (やま) く ず れ  

 中宇利公民館前の三叉路(さんさろ)に「比丘尼(びくに)城址(じょうし)入口」の標柱(ひょうちゅう)がある。城址はここから南800mの宇利の部落を一望する尾根(おね)先端(せんたん)にある。上は平坦(へいたん)になっていて、まわりには(ごう)をめぐらしている。城主は(あま)さんであったろうとか、宇利(うり)(じょう)支城(しじょう)であろうとか、南北朝時代の宇利庄(うりのしょう)拠点(きょてん)であろうとか、たしかなことはわからない。
 
この城の南には大きなくぼがある。このくぼから雨生(うぶ)(さん)の山すそ、中村、不動平(ふどうびら)、門沢、こたぶろにかけて五輪塔(ごりんとう)や自然石の墓が点在している。この城が敗れたときに戦死した人の墓だろうといわれ、土地の人々は、これを滝山(たきやま)くずれといって、それぞれの地所(じしょ)でねんごろにおまつりしている。
 このあたり一帯、圃場整備(ほじょうせいび)が行われた際に、(はか)を移動したり、まとめられたりしたが、滝山くずれにはたたりがあるといわれている。

 先年、豊橋から来た運転手が小便をかけたらその晩から発熱したとか、子供が(こし)かけたら風邪(かぜ)をひいたようになって()こんでしまったとか、いろいろおさわりがあるといわれて恐れられている。不動平の梅沢(うめざわ)()では,おさわりがあっておがんでもらったらなおったが,それ以来,月の3日間必ずお茶湯(ちゃとう)を欠かしたことがないという。