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徳川家康には、17人もの女性があったといわれていますが、その一人であった、於ろくの方という人は、黒田光綱の末娘として慶長2年に三河国八名郡黒田郷で生まれました。小さい時の名はわかりません。
父の光綱は、はじめ今川氏真に仕えていましたが、後に家康に従って合戦に出て功のあった人でした。10いくつになった於ろくは伏見城で大奥の女中としてつとめることになりました。大変黒髪の長い美しい人でした。家康は60歳を過ぎていましたし、大坂夏の陣をすぎた翌年に死んでしまいましたので、19になったばかりの於ろくは、喜連川頼氏という人と再婚しました。
それから9年後の寛永2年の3月17日、於ろくは、家康のまつられている日光東照宮におまいりに出かけました。そのおまいりしている最中に、雷がおこってそれに打たれて死んでしまいました。家康の霊が雷になったのだとうわさする人もありました。また、雷で死んだのではなかったのかもしれません。
弟の黒田直綱が建ててくれた鎌倉の近くの光長寺が菩提寺だということです。 |
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