八名地区に伝わる昔話です。あなたの地元にも今まで知らなかった昔話が伝えられてきたことが分かりますよ。
   
 八名の昔話
   
一鍬田地区
 
   (ぜん) (わん) を () す (ふち)  

 豊川(とよがわ)は,新城市を縦断(じゅうだん)して流れ,一鍬田(ひとくわだ)の所で大きな(ふち)になっています。この淵を「かいくら淵」といい,竜宮(りゅうぐう)にとどいているといわれていました。
 昔,ここの里では,毎年秋になると豊作祝(ほうさくいわ)いをし,里長(さとおさ)長者(ちょうじゃ)さまをよんで接待(せったい)することになっていました。
 接待する家は順番で回り持ちです。それが今年は,村一番の貧乏人(びんぼうにん)の家に当たりました。ごちそうの支度(したく)はすべてその家でしなければなりません。こまったことは,里長と長者さまには,特別りっぱなお(ぜん)を出すのがしきたりになっています。貧乏な里人(さとびと)たちには,とてもそんなお膳やお(わん)などあろうはずがありません。いつもしかたなしに,いやな思いをしながら長者さまにお頼み申して借りてくるのが例でした。借りるのがなぜいやかというと,長者さまは,たいへんなけちんぼで,そのうえ,とてもいばりやなのです。里人たちが,こまって物を借りにでも行こうものなら,さんざんいやみを言ったうえで,すごく(おん)をきせながらしぶしぶ貸してくれるのです。
 さて,当番になった貧乏人は,ごちそうにするものを買うお金がありませんので,自分が山や川から取って集めることにしました。
 きょうは「かいくら淵」へ魚を()りに出かけました。糸をたれると,まるで待ちかねたようにかかってきます。「こい」やら「ふな」やら「すずき」やら,びくはもういっぱいです。そろそろ帰ろうと(こし)をあげましたが,これから長者の所へお膳とお椀を借りにいくのが,どうにもいやでたまりません。
「ああ,いやだなあ。あんな長者さまの家へお膳とお椀を貸してくださいなんていっていくのは-。どこかに十人前貸してくれる所はないかなあ-。」
と,ため息まじりにつぶやきました。すると,ふしぎともふしぎ,今まで(しず)まりかえっていた淵が,急に波立ってきたかとみると,波にゆられながら,きれいな朱塗(しゅぬ)りの膳椀がこちらへ(ただよ)って来るではありませんか。
「ややっ。お膳だ,お椀だ。かいくら淵の(ぬし)さまが,これをわしに貸してくれますだかね-。ありがたいこってす。ありがたいこってす。」
と大喜びですくいあげ,
「淵の主さま。淵の主さまはわしの貧乏をあわれんで,この膳椀をお貸しくださったのだ。用ずみしだい,きっとお返しにまいりますだ。それまでしばらくの間お借りします。」
と喜び勇んで帰ってきました。
 さて当日(とうじつ),近所の者や友だちが心配してきてくれましたが,そこには,見たこともないすばらしい膳椀が光っているので,
「あれさ,まあ。なんときれいな膳椀だこと。おら,今まで見たこともねえぞ-。」
「こりゃあ,長者さまのとは違うようだ。いったいどこで借りたんだね。」
 
だれもがびっくりして尋ねました。貧乏人が,「かいくら淵」でのできごとを説明しようとしましたが,長者さまが里長といっしょに入ってくるのを見て,口をつぐんでしまいました。それは里人たちが,長者さま以外の家から物を借りたりすると,たいへんきげんが悪いからです。今日も長者さまは,いつも必ず膳椀を借りに来るのに,今度にかぎって借りにこんとはおかしい。もしつまらない膳でも出したら,こっぴどいめにあわせてやろうと思いながら,じろじろ見回していました。ところが,支度がととのい,出てきた膳は,目もさめるほどきれいな朱塗りの膳椀にりっぱな魚の料理(りょうり)です。酒はうまいし,文句のつけようはありません。みんなじゅうぶん飲んで食べて上きげん,お(いわ)いは無事にすみました。
 この「かいくら淵」から膳椀を借りた話は里中(さとじゅう)に広まり,それからというものは,だれひとり長者さまに膳椀を借りに行くことがなくなりました。「かいくら淵」で膳椀を借りるのはかんたんで,必要な数を紙に書いて沈めると,いつでも()き出してくるのです。また,それを返すには,数をそろえてきれいにふき清め,そっと水の上に浮かべると,渦巻(うずまき)がおこり,底深く吸いこまれていきました。
 この話は,長者さまの耳にも入りました。ちょうど長者さまの家に人寄せのことがありましたので,長者さまは,家のを使うよりも借りる方がとくだと思い,「かいくら淵」へ百人前(ひゃくにんまえ)借りたいと書いて(しず)めましたが,膳椀は一つも出てきませんでした。
 さて,それから里人たちは,この淵で膳椀を借りてはちょうほうしていましたが,いつのころか不心得者(ふこころえもの)があって,借りたお椀のふたを落として()ってしまいました。そして割れたままだまって返しましたので,その後はもうだれがたのんでも貸してくれなくなりました。