満蒙開拓団として東三河から満州へ行かれた方の体験記録を中心に掲載させていただきます。
東三河郷開拓団の記録
入植地の風景


開拓地の様子 


東三河郷開拓団の紹介写真 1942年
 このページは,愛知県で組織され,旧「満州国」へ国策移民として渡られた東三河郷開拓団の方々の体験談を中心に掲載させていただきます。直接取材できた方は少ないですが,国策に翻弄され凄惨な体験をされた方々のことを知っていただくために,残されている記録集からも転載させていただきます。
 東三河郷開拓団は1940年(昭15)に新城市,北設楽郡を中心に組織され,愛知県が送り出した唯一の開拓団で,146戸,530名あまりが満州へ渡りました。
 滝川辰雄さんの記録には,「中国人が長年耕作してきた土地を取り上げるなど,人道上も道義的にも許すことのできない大悪罪である」とする反面,「全財産を処分して渡満してきた団員が帰る場所はなく,どうしようもなかった」と記されています。
 国策に翻弄され,裏切られ,逃避行のさなかに多くの命が失われました。さらに帰郷後も大変な苦労をされることになります。渡満された人々は親戚縁者,地域住民からも招かざる客だったのです。終戦により日本は戦争から解放されましたが,終戦が悲劇の始まりだった人々の体験記録をご覧ください。

    
最初にお読み下さい    満蒙開拓団とは
    
概略が分かります    東三河郷開拓団とは


番号 地 区 お名前  年 齢
(終戦時)
内        容
市内平井
(一鍬田)
滝川 辰雄 38   旧満州国東三河郷開拓団顛末(てんまつ)
市内海老 松下のぶ子 20代   中国人に命を救われて
中国黒龍江省
(市内海老)
藤井 しん 20代   やむを得ず中国に残ることに
設楽町名倉 片桐 峰子 20代   終戦の日 ~ 自決の決断
豊橋市
(設楽町田口)
伊藤 いつ 25   孤児のK子ちゃんのこと
豊橋市
(市内豊島)
今泉 茂一 24   現地の人のおかげで‥‥
豊橋市
(設楽町田口
原田 民子 24   大陸の花嫁
市内日吉
(市内海老)
伊藤喜代子 21   親切な満人のおかげで
豊橋市
(市内海老)
花井美代子 20   終戦後は悲しいことばかり
10 豊橋市
(東栄町本郷)
小田さき枝  20    死んだ子を3日も抱いて
11 名古屋市
(渥美郡福江町)
岩瀬 定司 19   小作の子が同じ農民を苦しめて
12 蒲郡市
(渥美郡田原町)
藤城 正美 19   開拓団からシベリア収容所へ
13 市内作手 鈴木 昭三 18   戦争のむごたらしさ
14 豊川市
(北設津具村)
村松  秀  17    父母の慰霊でやっと終戦
15  豊橋市
(東栄町本郷) 
市川 孝司  16    夢の開拓団から無念の帰国へ
16 豊田市
(市内海老)
夏目 安男  15     無惨だった開拓団家族
17 名古屋市
(市内中宇利)
橋本 克巳     満蒙開拓団 終戦からの辛苦
18 豊川市
(市内海老)
夏目 幾世    満蒙開拓団 苦難の歩み
19 市内上吉田 夏目 昌儀    東三河郷開拓団 子どもだけの帰郷
20 中国黒龍江省
(宝飯郡塩津村)
王 会成  戦後生    母は中国農民と結婚
         
  
             
 このページの写真は,東三河郷開拓アルバムより掲載させていただいています。
 また,平成3年1月に新城市立新城小学校6年月組が発行された「東三河郷開拓団からの手紙」から数名の方を転載させていただきます。当時の担任教諭の星野真久氏は,村を挙げての分村移民の機運が高まった旧鳳来町山吉田村出身です。




朝拝の様子


入植者家族


開拓地
   
「男装の孤児」 飯山達雄著
 敗戦・引き揚げの慟哭より