満蒙開拓団として東三河から満州へ行かれた方の体験記録を中心に掲載させていただきます。 | ||||
入植地の風景 開拓地の様子 東三河郷開拓団の紹介写真 1942年 |
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このページは,愛知県で組織され,旧「満州国」へ国策移民として渡られた東三河郷開拓団の方々の体験談を中心に掲載させていただきます。直接取材できた方は少ないですが,国策に翻弄され凄惨な体験をされた方々のことを知っていただくために,残されている記録集からも転載させていただきます。 東三河郷開拓団は1940年(昭15)に新城市,北設楽郡を中心に組織され,愛知県が送り出した唯一の開拓団で,146戸,530名あまりが満州へ渡りました。 滝川辰雄さんの記録には,「中国人が長年耕作してきた土地を取り上げるなど,人道上も道義的にも許すことのできない大悪罪である」とする反面,「全財産を処分して渡満してきた団員が帰る場所はなく,どうしようもなかった」と記されています。 国策に翻弄され,裏切られ,逃避行のさなかに多くの命が失われました。さらに帰郷後も大変な苦労をされることになります。渡満された人々は親戚縁者,地域住民からも招かざる客だったのです。終戦により日本は戦争から解放されましたが,終戦が悲劇の始まりだった人々の体験記録をご覧ください。 最初にお読み下さい 満蒙開拓団とは 概略が分かります 東三河郷開拓団とは 経緯が分かります 東三河郷開拓団の経緯(年表) |
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「満蒙開拓を語り継ぐ 手記朗読プロジェクト」による朗読が聞けます。 菅谷瑞恵さんによる朗読です。 ※にアクセスしてみてください。 |
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「男装の孤児」 飯山達雄著 敗戦・引き揚げの慟哭より |
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