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宇利城址の遠景 中央の山が宇利城のあった山です。標高は160m歩いて15分ぐらいで登れる低い山です。 しかし,この城をどうやって攻めるとよいかを考えながら登ると,その難しさが実感できます。 撮影 2016.7.15 |
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説明看板 教育委員会が平成26年に新しく作成したばかりの看板です。地形図からも宇利城が天然の要害だったことが分かると思います。 三河屈指の山城で,愛知県指定文化財第1号史跡です。 |
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尾根づたいの登り 尾根づたいに登ります。左右は急斜面になっていて,大軍でも攻めづらかったと思われます。 この道は,城から中宇利の集落への主要道として使われ,麓に対して開かれていたと考えられています。 |
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松平右京亮(右京之進)の供養塔 松平右京亮親盛は,安城福釜の城主で松平清康の叔父で,最も信頼する重臣でした。親盛の弟の松平信定と不仲だったため,共に戦っていた信定が助けなかったのではないかといわれています。 |
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松平右京亮の供養塔 宇利の戦いは,享禄2年(1529)11月とされていますが,供養塔には享禄3年庚虎と刻まれています。 また,寛保3年(1743年)癸亥天 當領主建之とあり,江戸時代に岡部藩主となり,八名村を治めた安部氏が(8代藩主安部信平)が建立したことが分かります。 |
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本丸南側の急斜面 本丸の南側はこのような急斜面で,とても登れそうにありません。右側の限られた大手道から登ることになります。写真のすぐ左下に井戸があります。 |
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井戸曲輪 宇利城には三つの井戸があり,その一つです。深さは3mほどあります。戦いに敗れてこの城を落ちのびるとき,城主の娘の美しいお姫様が,宝物の「金の茶釜」とともに井戸に飛び込んで亡くなったという伝説があります。 |
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本丸と姫御殿(二の丸)の入り口 本丸と姫御殿と呼ばれる二つの曲輪が並列して構えられています。中央の道をはさんで両側に土塁が設けられ,虎口も向かい合うようにに設けられていました。 |
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本丸の跡 周囲に土塁をめぐらした東西40m,南北36mの平坦地です。地元中宇利の方々の手でよく整備されています。 |
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宇利城址の碑と説明看板 宇利の戦いのあらましと,城の平面図が分かりやすく書かれています。 |
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「熊谷備中守實長碑」 熊谷実長は,一ノ谷の戦いで平家の敦盛を討ったことをなげいて出家したことで有名な,熊谷次郎直実の子孫です。 熊谷氏の一族はそれぞれに落ちのびて,後に活躍しますが,実長は討たれたとも落ちのびたともいわれ,はっきりしていません。 ただ,中宇利の慈廣寺には,享禄4年十月二十日卒(1531)とした熊谷備中守の位牌が残されています。 |
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本丸北側の物見櫓 高さ1.5m,幅20mほどの物見櫓と思われる土檀 があり,北側の尾根方面をよく監視できます。 |
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納所平 物見櫓から,北側の納所平を見下ろした写真です。東西25m,南北20mあります。納所平は,納戸平とも呼ばれ,倉庫があった所と考えられています。 |
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姫御殿(二の丸) 長さ37m,幅19mの平坦地で楕円形をしている。この写真左手前には,石垣がみられ,姫御殿の南東側には6段にわたる曲輪が設けられています。 |
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本丸西側の案内板 石垣へとあるが,とても急な崖になっていて,降りるのは大変です。この方角は搦手にあたり,急な崖が続き,かつてはふもとが沼地になっていました。 |
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納所平 納所平を本丸から降りた堀からみた写真です。 言い伝えでは。米蔵があった場所といわれています。 |
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納所平から本丸への斜面 納所平といわれる曲輪と本丸は,高い壁と横堀によって隔てられています。高さは10mほどあります。 |
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納所平北側の堀切 納所平の北側は大きな堀切が設けられ,尾根を遮断し,さらに西側斜面には竪堀を延長させています。高さは約6mほどです。 |
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堀切部から見た納所平の斜面 左の大木が,石組みをからめ取るように根を伸ばしています。樹木の生命力と年月の長さを感じさせられます。 |
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納所平の北側の曲輪 納所平から北へは尾根が続いています。熊谷氏はこの尾根伝いに落ちのびていったと考えられます。 |
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姫御殿の北側に見える曲輪 姫御殿の腰曲輪から一段下にある曲輪です。この曲輪は,近くにあった谷の井戸を守るためのようです。 |
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姫御殿東側の急斜面 姫御殿の東側の腰曲輪から見たところです。姫御殿の周囲は,急な崖となっており,腰曲輪は東側と南側に張り出し,強力な陣地となっています。 |
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姫御殿の南西側 姫御殿の南側の腰曲輪から見上げたところです。この腰曲輪に加え,もう一段下に設けられた曲輪で,大手筋を守っています。 |
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御馬屋平 姫御殿の東の尾根には,6段にわたって曲輪が設けられています。写真は御馬屋平と呼ばれている曲輪です。この下の段に,もう一つの曲輪が設けられています。 |