橋本すむさんを囲む6人姉妹

 1920年(大正10年)頃の写真と思われます。すむさんが子どもたちを連れて上京し,しばらくした頃の写真でしょうか。大正9年に長男と夫が相次いで病死されています。前列左端がメイコさんの母親のチエコさん(明治43年生まれ),中央がすむさんです。
 
        中村メイコ著  「五月蝿(うるさ)い五月晴れ」より転載
 
        士族の墓にある菊池家と橋本家の墓

 すむさんは富岡の菊池家から中宇利の橋本家へ嫁ぎますが,洞雲寺には両家の墓が並んで建てられています。橋本家は慈廣寺(じこうじ)の檀家で墓は中宇利の共同墓地にあり,洞雲寺に墓があることは知らされてなかったそうです。(橋本家昭10年生まれの方の話)       
 亡くなった夫が橋本家から勘当(かんどう)同然だった事情から,(あわ)れんだすむさんが東京で亡くなった長男と名古屋で亡くなった夫のために橋本家の墓を菊池家の隣に建立されたようです。苦労をされたすむさんは昭和32年に逝去され,遺骨もここに納められています。
 
             メイコさんのご両親の墓

 メイコさんは,平成7年5月に両親の遺言に従い,洞雲寺の一般墓地に墓を建立されました。当初は,すむさんの墓の近くを希望されたそうですが,敷地(しきち)の関係でかなわなかったそうです。
 それでもメイコさんは,ここから見える弓張(ゆみはり)山系の山々と田畑が広がる田園風景をとても気に入られたそうです。 
 
       納骨(のうこつ)におみえになった高津家のみなさん

 2024年(R6)5月,神津家のみなさんが納骨におみえになりました。住職の都合で遺骨は位牌堂(いはいどう)へ安置され,3人で墓参りをされました。左からカンナさん,善行さん,はづきさんです。善行さんは,これでやっとメイコさんの父,正常さんとの約束を果たすことができると喜んでみえました。また,檀家(だんか)のみなさんには今後お世話になることが多いと思われますが,よろしくお願いしますと話されました。
 後方がメイコさんがお気に入りの田園風景です。
 
           洞雲寺(とううんじ)住職の手で納骨

 同年8月4日,洞雲寺住職の手で墓石への納骨式が行われました。メイコさんの生前のお話では全骨洞雲寺へ納骨するとのことでしたが,ご家族で相談され,高津家へも分骨することになったそうです。これで,ご両親の元に帰られることになりました。
 
 
          メイコさんが建立された墓石


 同年8月,墓石に八メイコさんの命日,年齢が(きざ)まれました。
 
            徹子(てつこ)の部屋に出演

 2022年5月4日の徹子の部屋へ出演された時の写真です。「結婚65年 おしどり夫婦の元気術は」 というテーマで話されました。この時のメイコさんは87歳です。
 写真が公開されていますので転載させていただきました。