照山城遠景

 勘助は,豊橋市賀茂町の照山城が出生の地とされています。しかし,出生地と伝えられる場所は,全国にいくつかあるようです。
 
 
        勘助生誕地碑

 豊橋市賀茂町の生誕地碑。この碑には,山本晴幸(はるよし)と刻まれていますが,山本勘助のことです。
 
 
          黒田山本家の跡

 山本家は広大な敷地の旧家で,母屋は取り壊されていますが,離れ座敷,蚕室,土蔵などが残されています。
 
           勘助の由来が刻まれている石塔

 第13代勘助を自称された故山本文夫氏により,昭和58年に建立された石塔です。黒田山本家の山本勘助の由来が詳しく刻まれています。
 
      2代目山本勘助 勘蔵信供の供養塔

 山本家に伝わる「先祖之覚」によると,山本勘助の長男は勘蔵信供で,長篠設楽原の戦いで戦死したとされています。この小さな石塔が勘蔵信供の供養塔だそうです。
 
 
       山本勘助代々の墓

 歴代勘助の墓が並んでいます。一番右側の蓮華台のある大きな石塔が3代目勘助,助次郎信倶(のぶとも)の墓です。その左が4代目勘助,兵四郎利平とその妻,さらに5代目,6代目,7代目と続いています。