![]() |
五葉城址入り口 五葉湖の駐車場から林道をおよそ50分ほど登ると五葉城の入り口に着きます。林道から左へ鋭角に入っていきます。 登ってすぐ右手に二の曲輪があります。まっすぐ登るとすぐ一の曲輪に出ます。 |
||
一の曲輪(本丸)跡 五葉城の一の曲輪です。五葉城は,ふもとからの標高が高い山城です。希少植物保護のため,歩くコースが制限されています。 五葉城の一の曲輪(本丸)は,ほぼ三角形で,東西35m,南北は14m~28m |
|||
![]() |
一の曲輪から東方面を見たところ 12月から2月頃の快晴の日には,遠く富士山を見ることもできます。五葉城は国境の城で,眺望がきくのが利点とされています。 |
||
![]() |
一の曲輪から見える景色 北東方面には南アルプスが見えます。左から赤石岳,聖岳,光岳です。 一の曲輪にパノラマ案内板がありますので楽しめますよ。 |
||
![]() |
本丸から高城砦址を見たところ 高城砦は標高383mあり,五葉城址より約30m高くなっています。五葉城の遺構は,4ヶ所に分かれています。 五葉城址,高城砦址,堀切部,出丸(物見台)です。 |
||
![]() |
一の曲輪北側の堀と土塁(右手) 堀と土塁がよく残されています。堀から写真左上にある一の曲輪まで8mの高低差があります。 |
||
![]() |
高城砦址への登り口 写真左は林道で,高城砦址に沿うように設けられています。右へ登っていくとすぐに堀切部があります。西郷の城からの大手道は,この堀切部に入るようになっています。 |
||
高城砦址の堀切 高城砦址には見ごたえのある堀切(尾根を断ち切るように設けられた堀)があります。二の曲輪の南側の堀切から二の曲輪までが6m,さらに一の曲輪までに6mの高低差がつけられています。上り下りが大変です。 |
|||
![]() |
高城砦址からの眺望 残念ながら,高い木が眺望をさえぎってよく見えません,所々に少し開けたところがあり,望遠レンズで見ると正面に八名小学校が見えます。中宇利方面もよく見えるので,東西(宇利峠,中山峠)のおさえとして,三遠国境の要衝の地にあった山城ということが分かります。 |
||
高城砦跡 一の曲輪 高城砦を築いたのは,野田城主菅沼定盈といわれています。定盈の叔母が西郷家へ嫁いだことにより,菅沼家と西郷家は姻戚関係にあり,共に支え合います。 永禄4年(1561),今川方に攻められた定盈が野田城から西郷へ退き,高城砦を築き立てこもったのは,強い絆があったためです。 |
|||
![]() |
出丸(物見台)からの風景 出丸へは一の曲輪(本丸)へ行く途中に林道から入れますが,一の曲輪から尾根づたいに降りることもできます。 出丸は物見台だけあって,かつての宇利城方面,野田城方面への眺望がききます。富岡方面の眺望はすばらしいです。 |
||
![]() |
出丸(物見台)からの風景 出丸から少し西へ50mほど散策路を歩くと,蒲郡方面の眺望が開けます。ラグーナや三河大島,遠くは知多半島まで見ることができます。五葉城は,監視の役割上,重要な山城だったことが分かります。 |
||
![]() |
五葉湖(大原調整池)から見た高城砦 中央奥に見える山が高城砦跡がある山です,五葉城址は右手の山の陰になっていますが,物見台は尾根の高台に置かれていて,当時は各方面がよく見えたはずです。 |
||