陣屋(代官所)は富岡字大屋敷に置かれ,今は半原藩邸跡の碑が建てられています,役人は,代官二人をふくめて20人ぐらいだったようです。
 半原藩となったのは,1868年(慶応4年)から1871年(明治4年)の廃藩置県までのわずかな期間で した。
 右の写真は,安部(あんべ)家の家紋で「丸に(かじ)の葉」です。
 安部氏の始祖(しそ)は,信州諏訪の豪族諏訪氏の一族とされ,諏訪神社の社紋が「梶の葉」だそうです。
 
   左の植物は,梶の木の葉です。
  右の写真は,現在の富岡公民館(ふるさと会館)の館章です。かつて,ふるさと会館の場所にあった富岡小学校(学校統合で八名小学校となった)の校章として親しまれてきました。歴史の深さを感じさせる梶の葉です。  
  左の写真は,安部氏が建てた「洞雲(とううん)寺」です。1636年(寛永13年),半原の領主となった安部信盛(のぶもり)は,この地方にふさわしい寺院を建て,村人の心を統一したいと考え,真言衆の浄流(じょうりゅう)寺を建てました。しかし,不幸なことが続いたため「洞雲寺」と改めたのです。
 
 洞雲寺の西側には,かつての半原藩士族の供養塔があります。士族以外の人の墓は東側にあり,場所を分けられています。ここには,北辰一刀流の創始者,千葉周作と関わりがある塚越又右衛門や中村メイコさんの母方の先祖で,岡部藩の重臣だった菊池安兵衛の供養塔も祀られています。  
   左の写真は,明治初年に撮影された鈴木(つたえ)夫妻です。安部藩の重臣で半原に移住し,1867年(慶応3年)には,隊長として江戸,川崎の守備にあたりました。
 廃藩置県後,伝は旧八名郡全域にあたる大区長となり,その後は八名郡への郵便事業導入のために尽力し,富岡郵便局を終生勤め,明治37年に68歳で亡くなりました。