五葉城址入り口

   林道から左へ鋭角に入っていきます。すぐに二の曲輪(くるわ)
  ありますが,木が生い茂っていて分かりづらくなっています。



                  撮影 2014.7.14
            一の曲輪(本丸)跡

   五葉城の一の曲輪です。五葉城は,ふもとからの標高が
  高い山城です。希少植物保護のため,歩くコースが制限さ
  れています。
   奥に案内板がありますが,文字が消えかかっています。
          一の曲輪(本丸)を東から見たところ

   五葉城の一の曲輪(本丸)は,ほぼ三角形で,東西35m
  南北は14m~28mです。
   写真撮影場所の正面奥と背面に土塁があります。
 
          本丸から高城砦址(たかつきとりであと)を見たところ

   高城砦は標高383mあり,五葉城址より約30m高くなって
  います。五葉城の遺構(いこう)は,4ヶ所に分かれています。
   五葉城址,高城(たかつき)砦址(とりであと)堀切(ほりきり)部,出丸(でまる)(物見台)です。
         一の曲輪北側の堀と土塁(右手)

   堀と土塁がよく残されています。堀から写真左上にある一の
  曲輪まで8mの高低差があります。
            高城砦址(たかつきとりであと)への登り口

   写真左は林道で,高城砦址に沿うように設けられています。
  右へ登っていくとすぐに堀切部があります。西郷の城からの
  大手道は,この堀切部に入るようになっています。
             高城砦址堀切(ほりきり)

   高城砦址には見ごたえのある堀切(尾根を断ち切るように
  設けられた堀)があります。二の曲輪の南側の堀切から二の
  曲輪までが6m,さらに一の曲輪までに6mの高低差がつけ
  られています。上り下りが大変です。
             高城砦址(たかつきとりであと)からの眺望

   残念ながら,高い木が眺望をさえぎってよく見えません,所々
  に少し開けたところがあり,望遠レンズで見ると正面に八名小
  学校が見えます。中宇利方面もよく見えるので,東西(宇利峠,
  中山峠)のおさえとして,三遠国境の要衝の地にあった山城と
  いうことが分かります。
  
             高城砦跡  一の曲輪

   高城砦を築いたのは,野田城主菅沼定盈(さだみつ)といわれています。
  定盈の叔母が西郷家へ嫁いだことにより,菅沼家と西郷家は
  姻戚関係にあり,共に支え合います。
   永禄4年(1561),今川方に攻められた定盈が野田城から
  西郷へ退き,高城砦を築き立てこもったのは,強い絆があった
  ためです。
       五葉湖(ごようこ)大原調整池(おおばらちょうせいち))から見た高城砦

   中央奥に見える山が高城砦跡がある山です,五葉城址は
  右手の山の陰になっていますが,物見台は尾根の高台に置
  かれていて,当時は各方面がよく見えたはずです。