地域の発展に尽くした人,八名に関わる人で著名な人を紹介します。(五十音順)   情報提供もよろしくお願いします 
八名のひと  

  氏   名  出 身   ゆかり    生年~没年                 お  も  な  業  績
1 安部(あんべ) 信発(のぶおき) 富 岡 弘化3年(1847)~ 明治28年(1895) 半原藩主,水戸天狗党(てんぐとう)武州(ぶしゅう)岡部領内通過に際し,これを阻止(そし)。慶応4年,岡部陣屋(おかべじんや)を三河半原に移して,半原藩主となる。
2 大森 運夫(かずお) 富 岡 大正6年(1917)~ 豊川市三上(みかみ)出身。著名な日本画家。富岡に下宿し,富岡尋常高等小学校で教鞭(きょうべん)をとる。
3 岡田清三郎(せいざぶろう) 中宇利 安政6年(1859)~ 昭和16年(1941) 採草地として放置されていた野山への植林を提唱し,「(うね)三本」の案を示して村人を説得,万難(ばんなん)を排して植林事業の推進に生涯を(ささ)げた。
4 小林佐源次(さげんじ) 一鍬田 明治13年(1880)~ 昭和39年(1964) 初等教育者。愛知第二師範訓導(しはんくんどう)をへて,東京高等師範訓導として31年間勤務,実践と教育理論で全国に活躍。研究図書の出版40余冊。
5 近藤 長一(ちょういち) 富 岡 大正5年(1916)~ 43年間新城市の行政にたずさわり,そのうち16年間は3代目新城市長として市の発展に尽力(じんりょく),「文化都市しんしろ」をめざした。
6 近藤 秀用(ひでもち) 中宇利 天文16年(1547)~ 寛永8年(1631) 宇利城4代城主。永禄(えいろく)11年(1568),家康遠州進攻の先導役をはじめ,徳川氏創業の諸戦に参加し,元和5年(1619),井伊谷(いいのや)に領地を(たまわ)り大名となった。父の康用(やすもち)井伊谷(いいのや)三人衆。
7 鈴木  (つたえ) 富 岡 天保7年(1836)~ 明治37年(1904) 半原藩重臣(じゅうしん)。江戸市中,川崎関門守備隊長をつとめ,維新(いしん)後は藩制改革(はんせいかいかく)に尽力,廃藩後,額田(ぬかた)県第九大区長,明治8年後,終生郵便局長。
8 続木(つづき) 湖山(こざん) 黒 田 明治44年(1911)~ 平成18年(2006) 日本を代表する偉大(いだい)な書家,作品多数。40年にわたり小中学校の書写検定教科書を編集。
9 中村  (つたえ) 富 岡 明治11年(1878)~ ? 京都医師。地域発展のため莫大(ばくだい)な寄付。富岡小学校へ講堂建設資金,奉安殿(ほうあんでん)恵之池(めぐみのいけ)建設。
10 藤森(ふじもり) 彦男(よしお) 富岡
八名高
安政4年(1857)~ 明治41年(1908) 豊橋市出身。明治20年の八名高(やなこう)創立から33年まで校長在職。先進的な教育方針で八名高の名を全国に広め,多くの人材を輩出(はいしゅつ)した。
11 松井 石根(いわね) 富岡
八名高
明治11年(1878)~ 昭和23年(1948) 名古屋市出身。八名高に1年間在籍。南京城(なんきんじょう)陥落(かんらく)時の陸軍大将。一部兵士による略奪(りゃくだつ)虐殺(ぎゃくさつ)行為の責任を問われA級戦犯として処刑される。
12 松井 源次 庭 野 不詳 庭野村の戸長で,明治3年の旧八名郡,設楽郡,宝飯郡の73ヶ村でおきた当地方最大の百姓一揆(ひゃくしょういっき)蓑着騒動(みのぎそうどう)を鎮めるために奮闘した。
13 山口 粂吉(くめきち) 富 岡 天保3年(1832)~  明治45年(1912) 明治初年,有志で養蚕(ようさん)を導入。自ら製糸工場経営,郡役所はじめ諸役所の誘致,報徳社(ほうとくしゃ)の設立,土木事業の推進等地域の開発に貢献。
14 山本 半治(はんじ) 一鍬田 安政3年(1856)~ 昭和9年(1934) 天明・天保の大飢饉(だいききん)を教訓に,明治19年報徳(ほうとく)思想による勧農(かんのう)積徳社(せきとくしゃ)を設立,殖産(しょくさん)勤倹貯蓄(きんけんちょちく)を実践し,農蚕(のうさん)などの改善の資金に()てた。
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